養老孟司先生にモノ申す

今日は揚げ足取りを試みる。
養老孟司(バカの壁のひと)のエッセイ集を読んでいる。概ね正論と思しき内容が平易に綴られていて、安心して読める。「思しき」というのはある単語がどういう意味で使われているかがしばしば不明で、厳密な意味では言わんとしていることがつかめないが好意的に読めばまあそうだよねと思えるということである。まあエッセイとはそういうものだろう。
ただ経済学に関して違和感を感じる言及があったので自分の勉強を兼ねて検討してみる。揚げ足取り、なるか。
まず引用する。

 経済の高度成長とは、じつはこれまでなら五年かけて作っていたものを、一年で作るという面を含んでいる。それなら経済指標はたしかに右肩上がりだが、じつは将来の先取りだから、結局はものが売れなくなる。供給能力が過剰になるからである。昨今のいわゆる不景気には、そうした面が含まれているに違いない。(中略)ある思想は、他の面がその位置に来るまでは、なかなか理解されない。それをどんどん先取りしようとすると、ただいまの経済と似たようなことが起こる。バブルになってしまうのである。

乱暴にまとめると

  1. 高度成長は将来の先取りである
  2. 将来の先取りは供給過剰を引き起こす
  3. 将来の先取りはバブルを引き起こす
  4. 昨今の不景気は1.と2.のような理由で起きる供給過剰が原因のひとつである

1.については好意的に読めば納得できる。(将来という単語を独特の意味で使っているように僕には見えるが)
2.は正しいのかどうか。たしかに今の日本では、著者の定義するところの「将来の先取り」の後に供給過剰が起きている。しかし、これをもって高度成長と供給過剰に因果関係があると主張するのは無理がある気がする。
僕の知る経済理論では、需給ギャップはインフレや価格硬直性などと相互に影響を与えながら起きる現象と説明されている(と僕は理解している)。これらのことと高度成長が直接関係しているとは思えない。
しかし、確かに需給ギャップは大きな市場がなければ起きないので大きな市場を作った高度成長に供給過剰の原因を求めるという見方も全然理解できないわけではない。でもそれは「自動車が世の中に普及したせいで交通事故がおきるようになった」と言っているようなもので、間違っているわけでは全然ないが建設的とは言い難い指摘に思える。
それに「将来の先取りだから供給過剰が起きる」というとなにか需要が一定でそれを前借りしているかのような印象をうけるが需要とはそういった性質で語り尽くせるものではない。しかしこれはそういう印象をうけるというだけの話なので、間違ったことを言っているとまでは言えないだろう。
3.についても同様な理由で、正しいとしても意味のある主張には見えない。たしかに大昔にはバブルはない。しかしバブルがあるのは証券市場が発達したからだといわれても困ってしまう。
これらを踏まえて4.を見る。これもロジックはどうやら同じである。でも需給ギャップが不景気の原因であるとする主張はかなり正しいと思う。


こうして考えてみるとこの文章は、間違ったことは言ってないが恐ろしく中身の無い(経済学的内容のないという意味です。他意はないです)文章のようである。でもエッセイってそういうものか。表立って間違ったことを言ってないだけかなり優秀なエッセイかもしれない。
でもこれを真面目に読んだ経済に興味がない人は誤解するだろうなー、とも思う。そして僕にもそうやって誤解していることがたくさんあるのだろう。

結論
養老孟司は間違ってない。


2月3日追記:
読み進めてみるとどうしようもないことが書いてあったので、さすがに間違ってないとは言えないようです…。
納得できることもたくさん書いてあるんですけど。