帰結主義と定言的道徳律

年始に撮りだめしていたハーバード白熱教室の再放送をようやく最近見始めた。
普段から自分を極度の功利主義者と思ってましたが、第1回の帰結主義と定言的道徳律という話題を見て自分の考え方の癖を再確認した。
番組内の例で、それぞれ異なる臓器の移植を必要としている複数の人のために一人の健常者を殺してその臓器を移植することは普通の感覚では道徳的に正しくない、みたいな話が出てくるのですが、個人的には登場人物たちだけで閉じた世界の純粋な道徳的問題として捉えた場合、1人を殺して2人以上を助けることは別に間違ってないと思う。
ただ、現実的にはこういう状況が仮にあったとしても多数派の意見を無視することで様々な社会的コストが発生するはずなのでやるべきではないとも思う。

帰結主義はこういう風に一貫した理論(社会厚生の最大化)のなかで前提条件(上の例では現実的に発生する波及効果の有無)によって柔軟に議論できるところが優れている思う。
定言的な道徳律にはこういう機構はない。(逆に言えば議論にならない分、瞬間的な判断が必要な場面ではうまく働くこともある。ただうまく働くかどうかは運次第)
このあたりが自分が帰結主義功利主義的な考え方に共感を覚える大きな理由のひとつだと分かった、気がする。

「数字より心」的な話はみんな大好きだけど、心は定量的に捉え直すことができるけど数字は感情で解釈できない分、僕は数字のほうがすごいと思うのです。(もちろんどっちも大事ですが。そして「すごいと思う」っていうのは思いっきり定言的な物言いなわけですが)